それは、ほのかな④
ゴヨウさんとアザレアのお話です
よくよく①の注意を読んでおいてください
PWT大会運営主催のパーティーがあるのは最終日の試合の後。今回の大会では無敗のダンデが決勝戦でワタルさんに勝ったことで優勝をおさめ、幕を閉じた。大会の舞台もガラルの意向が強かったのか、シュートスタジアムで開かれた。それだけでもワタルさんにとっては不利な状況だったと言えるだろう。それでもワタルさんの戦いは堂々たるもので、さすがセキエイリーグのチャンピオンと息をのんだ。
「アザレア、衣装が届いているよ」
「わあ、素敵」
今回は、師匠がデザインをして、デザイナーさんに発注をかけたものだ。なんでも衣装まで全部自分で作る時間が無かったらしい。まあ、ポケモンたちのコンディションの調整とかあるからね。
「着方はわかるかい?」
「分からないです」
師匠がデザインしてくれたドレスはどれも可愛くて人目を引く。ただ、どこにチャックがついているとか、ここにボタンがあるとか教えてもらわないとお洒落に弱い私では分からないものが多いので、一度レクチャーしてもらってから自分の部屋で着替えた。
くるりと鏡の前で回ってみたが、とても可愛い。白と緑を基調にしたドレスは、細部まで刺繍が凝っているし、ビーズも星の砂のように散りばめられている。それがまさしく夜の海でサンゴが産卵を行っている時のような、幻想的な雰囲気を醸し出していて……つまり孫にも衣装。衣装すごい。衣装すごおおおい!! 大事なことなので強調していきたい。
着替え終わったので、と隣の師匠の部屋に戻る。ノックして、返事を貰ってから入ると、師匠ももう着替え終わっていた。
師匠の衣装も白と緑を基調としたもので、今回の洋服は金の装飾も入っているため重厚感がある。王者の風格を感じさせるのに、それをふわりと優しい微笑みでまとって魅せるのだ。すごい。
「こっちにおいで、お化粧をしてあげるよ」
「あっ、よろしくお願いします」
師匠に化粧をしてもらうのは好きだ。ひんやりとした手が優しく触れては離れていく、保湿をしてもらうだけでなんだか嬉しくて、楽しくてにやけてしまう。
師匠に化粧をしてもらった後に、香水を吹きかけられたので、首を傾げたところ、説明をされた。
「私と同じもので悪いけど……ほら、前にこの香水の匂いが好きだって言っていただろう」
「はい」
師匠はいつもほんの少しだけ香水をつけており、今はちょっと甘いけれど爽やかな匂いがするものをつけていたはずだ。この前褒めた時に、少し分けてもらった。
「パーティーは緊張するだろうから、少しでもリラックスしてくれたら、と思ってね」
「そうだったんですね、ありがとうございます」
お礼を言うと、額にキスをされた。師匠がよく試合前にしてくれる「大丈夫のおまじない」だ。……ファンデーションつかなかっただろうか、と心配したがにっこり微笑まれたところを見るに、大丈夫らしい。いつもありがとうございます、とお礼を言った。
「アザレア、パーティーでは私のパートナーということになっているんだから、私のそばから離れないようにね」
そ、そうだ。恐れ多いことに、師匠のパートナーとして出席することになっていたのだ。ぐうう。師匠に言わせれば一流のトレーナーには社交の場でもポケモンたちに恥をかかせないよう立ち振る舞いを覚える勉強が必要――ということで、今回は出ることになったのだけれど。
「お腹痛いです〜」
「あっはっは、誰だって最初はそうだよ。大丈夫、私がずっと隣にいるから」
「はあい」
師匠と腕を組んで入場する。あからさまに顔面偏差値とかオーラとか持ちうる全てが違うので、並ぶだけでも本当に気が滅入るのだが仕方がない。せめて、背筋を曲げないように気をつけようと思った。師匠が姿勢が悪くなったら正してくれるだろうし、あとはもうなるようにしかならない、なんとでもなれ! と投げやりになっていた。
師匠についてまわり、重要人物の挨拶回りをした。話すのは師匠なので「こちらは私の弟子のアザレアです」と言われたときだけお辞儀をしてにっこり笑えばよい。そして、師匠は「挨拶して貰う側」の人間でもあるので、立っているだけで次から次へと話し掛けられ……どちらかというと、長時間立ち続けることのほうが辛かった。ヒールしんどい。師匠もそんなだらしない私に気がついていたらしく、腰を抱くような形で支えてくれている。ありがとう……ございます……。
少し挨拶も落ち着いて、師匠が私を椅子に座らせ、自分も隣に座った。
「軽食を食べる余裕はあるかい?」
「ちょ、ちょっとなら……」
多分何か口に放り込んで咀嚼そしゃくすることなら出来るだろう。緊張でそこまで頭が回っていなかった。
「そうか……。飲み物以外、何も口に入れていないだろう? 空腹だと倒れてしまうだろうから、何かつまめそうなものを貰ってくるよ」
「ありがとうございます……」
お礼を言うと、師匠は「良いんだよ、そこでちょっと待っていてね」と私の頭を撫でてから席を立った。
大きなため息をついてから、ぼんやりと会場を見た。有名どころのトレーナーが、挨拶した方以外にも山ほどいて、あっゲームの……等と一人で息をのみながら観察していく。観察するといっても、疲れているため焦点も合わせずに見ているだけだ。
そんなぼんやりと壁際に座る女、壁の花に声をかけてくれる人がひとり。
「こんにちは、アザレアさん。お疲れのようですね」
「うわ、ゴヨウさん。こんにちは。ちょっと休んでました」
そう告げると、ゴヨウさんは顔色が悪いですね……大丈夫ですか? と私の顔を覗き込んでくれた。
えっまじか、そんなに顔色が悪かったのか。師匠もそれで座らせてくれたのだろう。申し訳ないにも程がある……。
「大丈夫です。今、師匠が軽食を貰ってきてくださると……」
私を座らせてくれたのだ。そう説明すると、そうですかと笑って隣に座った。
「ところで……シロナさんは?」
ゴヨウさんは確かシロナさんの付き添いで来ていたはずだ。
「シロナなら、あちらに」
そう教えられた方を見ると、どこかのお偉いさんと話し込んでいるようだ。シロナさんがとても楽しそうに笑っているのだが、所々「カセキ」「史料」と聞こえてくるのでシロナさんの仕事のパトロンなのかもしれない。何やら専門的な話をしているので、邪魔にならないように離れてきたのだろう。
「慣れないパーティーは大変でしょう。今日はミクリさんの付き添いでしたね」
さっきシロナさんたちにもそう挨拶したので覚えられていたらしい。
「はい、そうなんです。ご迷惑かけてばっかりで私なんか、来ない方が良かったとは思うんですけど」
素直にそう言ってため息を吐くと、ゴヨウさんは私の手を軽く握って励ましてくれた。
「大丈夫ですよ。誰だって最初はそうですから。私だって緊張して……しどろもどろになりました」
そう、話してくれたゴヨウさんがなんだかおかしくて、私は噴き出した。
「ちっとも想像できません。ゴヨウさんがですか?」
「そうです。取り消したい過去ですね……」
まあ、ゴヨウさんは言うほど酷くはなかったのだろうけれど、私を励ますためにそう言ってくれたのだろう。その気遣いが嬉しくて失礼ながら笑ってしまった。
「ありがとうございます、そう言ってもらえるとなんだか心強いです」
「少しでも気が楽になったのなら良かったです。貴方らしく過ごすのが一番ですよ。……そうですね、貴方はそう、笑っている方が魅力的だと思います」
笑顔になってくれると嬉しい、そうゴヨウさんに言われて、心配されていたことを申し訳なく思いつつもありがたいことだなと思った。
「アザレア、どれか好きなものはあるかな。一応、君の好きそうなものを取ってきたつもりなんだけど」
と師匠が、お皿と飲み物が入ったグラスをのせたお盆を持って帰ってきたところで、ゴヨウさんがではこれで、と帰っていった。
「何か話していたの?」
「ああ、大したことではなくて……この場に不慣れな私を、ゴヨウさんが励ましてくださったんですよ」
「そう……」
とだけ呟いて、はいどうぞ、と師匠が渡してくれた。
お皿には、色々な種類のクッキーや小さなカップケーキが乗っておりどれも可愛らしく、そして美味しそうだった。クッキーがお皿の面積を半分以上占めているあたり、師匠は本当に私の好みを熟知しているなと思う。それはそうか、師匠が「何かお菓子でも作ろうか?」と言われたときは毎回クッキーって答えてるもんな。
甘いものが好きなので、スイーツ特有のいい匂いに包まれて気分が上がる。……けれど、甘いものが苦手な師匠には辛い匂いだったのではないかと思った。
「うわあ、どれも好きです。本当にありがとうございます」
「どういたしまして。……こっちが君のジュース」
渡されたジュースを一口飲むと、アップルジュースだった。モモンのみジュースだあ、と喜んだものも束の間、モモンのみジュースというのは子供向けの飲み物だ。なるほど関係者の子供が来ることも想定されているのだろう。モモンのみジュース、美味しいよね。大好き。
ゴヨウさんと次に会ったのは、私がミクリと婚約した後のことだ。つまりまた、PWTの時だったのだけれど、その時もやっぱりやることがなくてライモンの遊園地でポケモンたちと一緒に遊んでいたのだ。遊園地で特にはしゃいでいたのは遊園地が初めてだったパルスワンで、あれもこれもとアトラクションで遊びたがり、気がつけば夕方になっていた。さすがに遊び疲れたのかボールの中ですやすやと眠っていた。パルスワン含めポケモンたちと遊び疲れた私は夕日を見ながらベンチに座っていたのだ。
「アザレアさん?」
「あっ、ゴヨウさん! お久しぶりです」
これも数年ぶりの再会だったので、PWTでもない限り人とは会わないのだな、と私は自分の出不精と人間関係をサボろうとする悪癖に気がつかされた。いや、オンラインで連絡はするのだけれど、オンラインだけだ。
最近発表したばかりだったが、ゴヨウさんはすでに私の婚約の件をご存知だったようで「ご結婚されるそうですね、おめでとうございます」とお祝いをしてくれた。
ありがたいなあ……と私がお辞儀をすると、ゴヨウさんが首を傾げる。
「何かありましたか?」
「……そう見えますか」
パルスワンたちと遊んだ後だったので、確かに疲れてはいたのだけれど。
「失礼ながら、何かあったのかなと」
見透かされたのは、ちょっと私の注意不足だったな、と思った。
「考えちゃうんですよね、どうしても……私は婚約者に釣り合わないなって」
夕日が綺麗だ。
オレンジ色が世界を赤く染めながら、暗闇を連れてくる。世界の境界線が曖昧になる、誰そ彼時。
前世ではあの世とこの世が繋がる時間だとか言われていたが、この世界でもやはり同じで「まあ日本のゲームだしな」と何処か冷めた気持ちで、そんなことを考えたことがある。
「ミクリさんには私よりも、もっと綺麗で、賢くて、優しくて、素敵で、大人びた人がいるんじゃないかって」
私ははっきり言って、自分のために生きている。前世で気がついたら我慢しただけで死んでしまったから、今世こそは幸せになりたいと思う。
でも、だからと言ってミクリを巻き込むのは嫌だ。彼にはもっと、彼にふさわしい素敵な女性がいると思う。そうなれば、私はいつか彼のもとを去るべき日が来るだろうし、あくまでもそれまでの借宿のようなものだ……と考えてしまっている。
そう先日、友人のキバナくんに「進捗どうですか〜!」と同人作家にものを聞くようなノリで尋ねられて話したところ、彼は私の中の矛盾を的確に指摘してきた。
『つまり、ミクリさんってお前の話を総括すると「もっといい女がいたら他の女に乗り換えるような男」なのか?』
『えっ、ミクリのことをそんなふうに思ってな……そうか、私、そう言っているのと同義か』
『そうそう、気がついたか。お前、それあんま人に言い過ぎない方がいいんじゃないか。ミクリさんを不信気味って捉えられるぞ。そういうことが言いたいわけじゃないんだろう?』
『そうだね、私がダメな人間だって言いたかった』
『ま、そういう言い方すんのもどうかと思うが……。もう少し自信持っていいと思うですけどね、オレさまは』
優しい彼らしい口調だったが、咎められて反省した。
それでもどうしても、私はそういう考えを払拭できずにいた。自分勝手だな、と思う。
でも仕方がない、彼にはもっと私よりずっとお洒落に気を使って彼に相応しくあろうとする、誰が見ても似合いだと褒めるような、怠惰たいだではない人が、きっといると思うのだ。
だからやっぱり私には、彼の隣にいるには、不釣り合いが過ぎる。
「でも別に、貴方は大丈夫ですよって言って欲しいっていう話じゃないんです。ただそういう、愚痴みたいなもので、弱音で。そんなことを言うなら、もっと私が努力すればいいだけで。それができない自分が嫌なんです。……まあせいぜい努力しても、彼に不釣り合いなのは変わらないんですけど」
絶望的な自己肯定感の低さが嫌だ。
そもそも、彼の横に並び立てるような土台を持った人間ではないのだ。とはいえ、今後もせいぜい努力を続けるべきである……と言うのが現状の結論だ。
ミクリとの婚約を発表してから、覚悟はあったけれど途方もない注目が降り注いで、嫌気が差しているのだと思う。だったら発表するなって話だ。
……それでも、私は発表することを選んだ。前世で推しの声優が実は結婚していたが風俗を使っていたと言うニュースがあったのだが「実は結婚していました。今回のことで妻を悲しませてしまいました」と謝罪ブログを出された時に、悲しみのあまり一週間精神がボロボロになったオタクとして「何も発表されない方が、ミクリのファンに対して不誠実」だと主張したのだ。
なのに、この有様だ。不甲斐ない。
思っていたより、私の精神はもろかった。
ゴヨウさんはそれまで黙って聞いていたけれど、私が話終わったと見計い、重々しく口を開いた。
「……それは誰ですか?」
「えっ」
一瞬、頭が回らず素で反応してしまった。
「貴方の言う、それは誰ですか」
何が言いたいのだろう、と考えてから気がつかされる。
……それは。
「……そんな人はどこにもいないと思いますよ。アザレアさんは、どこにもいない人の話をしていませんか?」
「あっ」
それはそうかもしれない。けれど、と走馬灯のように今まで出会った綺麗な人たちが思い浮かんだ。そしてやっぱりどこかで、私なんてと思ってしまう。
「いるかもしれませんね。世界は広いので。貴方のおっしゃるような方が……ミクリさんももう出会っているのかもしれません」
「はい」
「ですが、ミクリさんが選んだのは貴方です。それが答えだと思いますよ」
そうゴヨウさんに言われたときに、びっくりして泣いてしまって、この事は数年後ゴヨウさん本人に「トラウマになったんです」と言われてしまった。ごめんなさい。自分でも、どうしてだかよくわからないのだが、泣いてしまったのだ。
「……ごめんなさい、アザレアさん。強く言いすぎました」
「あっいえ、あの、そうじゃなくて」
なんと言えばいいのか分からずにいると、ボールから突然しらたまが出てきた。ロックを忘れていたらしい。
「マチュマチュ?」
なんで泣いているの、と不思議そうに泣いてから、私の顔面にダイレクトアタックならぬ抱きつきを披露された。ピタリ、としらたまが私の顔に抱きついたので、呼吸ができなくなりひっぺがす。ゴヨウさんは突然のことに固まっていた。
「大丈夫だよしらたま、ありがとう」
「マチュ」
泣き止んだね、と言わんばかりにニコニコ笑われて、さすが相棒は私の扱いに長けているなと思いながら抱きしめた。
……私が以前、ミクリに「落ち込んでいる時はしらたまを吸うんです! こんなふうに!」として見せたことを覚えていたのだろう。私を励まそうと言うハグだったのだ。今回は突然のことだったので呼吸ができなかったけれど。
「ひとりで、ありもしないことで悩みすぎていたのかもしれないです。気がつかせてくれてありがとうございます、ゴヨウさん」
「少しでも貴方の心が軽くなったのなら良かったです。明日どうですか? 久しぶりに、ゆっくりお茶でも」
「マチュ!」
しらたまが私より先に返事をしたので、ゴヨウさんが苦笑しながら「ありがとうございます」としらたまの頭を撫でた。
この話はゴヨウさんが美味しいお店に連れて行ってくれたからと、元々まん丸なしらたまがさらにまん丸になったところで話が終わる。
恋の始まりにはいくつかパターンがある。例えば、知らず知らずのうちに目で追ってしまっていた、とか、本能的に好きになってはいけない人だと感じたとか。
はたまた、相手のことをもっと深く知りたいと思ってしまった、だとか。
それは、ほのかな恋だったのだ。彼女には、告げられなかったけれど。
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