寝ている間に



「おやすみなさい、主」
 そう、審神者に声を掛けるへし切長谷部は――審神者の前でしか見せないような、普段からは想像も付かない――柔らかな表情でふわりと笑ったあとに、審神者にかけられた布団を整えてにじって――正座のまま手を使って移動する動作のこと――部屋の隅まで引いた。
 夜であることと審神者の部屋には俺――初期刀である山姥切国広と、初鍛刀である秋田藤四郎(そして、保安上の問題から2振りしか入れないかったのに、それを許せないと声を上げ、審神者を折った)へし切長谷部しか入れないこともあり、水面に波紋を浮かばせないほどの静寂があたりを包んでいた。
 へし切長谷部は部屋を出て行かないのだろうか、そう思い尋ねると、審神者が寝たのかを確認してから言葉を返してきた。
「ふん、貴様が出て行くまで俺が出て行くわけがなかろう。貴様だけが主の傍にいるなど、片腹痛い、とでも言っておこうか」
 これだ、だからこいつのことは苦手なんだと俺はため息をついた。
 この名剣は主の前ではにこやかで、ふんわりとした性格を演じている――のだろう――が、主の前でなければ態度が豹変する。
「なんだその態度は、聞いたのはお前の方だろう山姥切。お前も知っているだろうが、俺はもとより、初期刀として主に最も信頼され主の傍に最も長くいるお前がいけ好かないのだ。主とともに在れぬ時間を埋め合わせるためにも、お前より長く主の傍にいなくては」
「……はあ」
 何を言っているのだろう、この名剣は、と呆れすぎてため息が出てしまった。そこは張り合うところではないだろう。
 確かに彼の言うとおり、俺は主の傍に最も長くいてかつ信頼されているが、それは主と俺の密約――刀剣たち同士で審神者を巡る(出陣、会話、スキンシップの頻度で)トラブルが起きないように、わざと贔屓する刀剣として俺をしつらえることで不満を緩和するというもの――によるところが大きい。つまり、自分で言いだしたこととはいえそう思わせるための囮なのである。
 主はことあるごとに俺の名前を出して「最も信頼する」というがそれも戦略の内なのだ。
 長谷部が見つめてくるところ申し訳ないが、俺は俺でやりたいことをやることにした。
「……おやすみ」
 そう主に声をかけてから、彼女の髪の毛をひと撫でして、唇を親指でなぞったあとに下唇をついばむように角度を変えてキスをした。
 それを見た長谷部が息をのむような音がしたが、知ったことかと無視をした。審神者は放っておけば夜が明けても起きていることがあるため、寝付くまで見張る事が多いのだが、これはこいつを寝かしつけた後の日課みたいなものなのだ。今さら彼にどう言われようが思われようが知ったことではない。
「キッ……! 貴様……!」
 何か大声を上げようと口を開いたらしいが、審神者が寝ているため口をぎゅっと結びなおす。長谷部の拳は膝の上で固く握られていた。
「あっ……主と、付き合っていた、のか……?」
「付き合ってなどいないが?」
 長谷部が理性を振り絞ってしてきたのであろう質問にそう返すと、彼はまたなにか言いたそうに大きく口を開いて閉じた。
 なかなか理性的な奴だな、と場違いなことを考える。
「で、では、主に、無断で……せっ、接吻を」
「している、というわけでもない気がするが……俺が主に接吻をしているということを、主は知るまい」
 そこまで言うと、長谷部は刀の柄があるだろう場所に手を持ってきていた。彼が帯刀していたら抜かれていたかもしれない、と先ほどから俺は俯瞰的に冷静に物事を処理していた。
「…………どういうことなのか、説明しろ」
「説明もなにも、そんなに難しいことではない。主から『自分が寝ている間は、ストレス発散に顔にらくがきをしても許そう。俺には、迷惑ばかりかけているから……寝ているときならば悪戯されても許す』といったことを言われている」
 俺がそう答えると、長谷部は固まったあとに、はあと大きくため息をついて深呼吸までした。
「お前、ああ、いや、もういい。主と山姥切が恋仲でないのなら、何も言うまい。つまりはお前の恋煩いか?」
 今まで長谷部の質問にはほとんど即答してきたのだが、その質問に固まってしまったため、どうした、と聞き返されるはめになった。
「…………恋煩い、恋、か。こいつに関する複雑な気持ちをまあ強引にまとめるなら、それでもいいか。そうか、俺はこいつに、恋をしていたのか」
 そこまで言うと、目の前の長谷部が上段の構えに移っていたため、ああ帯刀していたらと再度考えることになった。主の寝室が帯刀・武装禁止でよかったと珍しくあいつの判断に感謝した。
「…………なんなのだ、お前は」
「お前こそ。長谷部、お前は主に恋をしているのか?」
「ハァア!? ……いかん、主が起きてしまう。主には本丸にいるときこそゆっくり休んで貰わねばならないのに。クソ」
 そう早口で言ってから、彼は咳払いをして仕切り直す。
「まあ、そう言い表すしかあるまい」
 同類だった。予想通りで意外性なんて無かった。
「それにしても、山姥切国広、お前が主にこのような狼藉を働いているとは……クソッ、今後はお前ひとりで主の寝室に入ってくれるな」
「それは無理な話だ。俺の意思に関係なく、主に呼び出されることも多い」
「うう、クソッ、俺はどうして主の初期刀ではなかったんだ」
 肩を落とす長谷部を見て、ああ、やはりこいつは知らないのだ、とある考えが確信に変わる。
 このへし切長谷部は知らないのだ、なぜ主が「へし切長谷部を俺よりも優遇したい本心を抑え、優遇しないのか」を。
 アドバンテージだ、と主の言葉が蘇った。こいつは、いや、俺以外の誰も「あいつとへし切長谷部のことを知らないのだ」と。
「おい、そろそろ寝室から出るぞ。主がお目覚めにならぬように」
「はあ、まあそうか」
 物思いにふけっていると、長谷部に声をかけられ無理やり部屋から出て行くことになる。
 今後はこいつとのふたりの時間が、また長谷部のせいで減らされそうだとため息をついた。【fin.】

Atorium

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