何よりも
私は思い付いたワードを片っぱしから検索欄に叩き込んでは、しかめっつらをしていた。ああでもない、こうでもないとWebページを行ったり来たりして、頭を悩ませて低くうなる。
……そして、そんな私の苦悩する様子をライボルトがじーっと見つめていた。飽きないのだろうか、と思ったけれど、前世の私も一時間猫を見ても飽きなかったので、ライボルトにとって、私は猫のようなもの、なのかもしれない。
「ん〜〜、これはないし、こっちもないしなあ」
「ライボ」
独り言に返事もしてくれた。優しいね。
十一月二十二日といえば「いい夫婦の日」である。普段はなかなか言えない感謝や思いを伝え、夫婦の絆を深めるための日とされる。折角なので、とミクリが旅行に誘ってくれたのだ。
「たまには二人でのんびりするのも良いだろう。宿を取ったから、そのつもりでね」
二人で、と言うことだったのでどうしてもそばを離れたがらないポケモンたち以外は周囲の人々に預けてのんびりする予定だ。とはいえ、流石に私が何も用意しないのはまずいだろうとプレゼントを考えていた。
妻から夫へのプレゼントで多いのは仕事道具らしいが、別に他のものでもいいだろう。ミクリは私が何をあげても喜んで使ってくれるだろうなあ、と予想できる。そのため、うっかり私がセンスの悪いものを渡したらまずい。センスの悪いミクリ様にするわけにはいかない。責任重大なのだ。
私ははあ、と大きくため息をついてライボルトを抱きしめた。もう八方塞がりだ。私が選んだものだったらなんでも炎上するのではないのかとさえ思えてきてしまった。ライボルトを撫でながら、一人で考えるから思考が堂々巡りになってしまうのかな、と思いキバナくんにメッセージを送った。
『ん〜そうだな、こういうシックな感じのものだったらいいと思うんだが』
「それだと地味すぎないかなとか思っちゃう」
『ああ〜そういう感じの悩み方してるのか……じゃあ、外では使わないものにしたらどうだ? 家でしか使わないものならそこまでお前が気にしなくていいんじゃねえの? とはいえ、重要なところはわかってるんだろ。ミクリさんはお前が何やっても喜んでくれるよ』
「ううう、そうだね……! ありがとう」
なるほど、メディアの目に触れない、家でしか使わないものか。盲点だった。
もう一度ネットを開いて調べていく。いい夫婦の定番プレゼントの中にお揃いの食器類があったが、食器類はもう溢れかえっているのでもういらないだろう。他に家で使うものといえば……と調べていった。
◇◇◇
連れてきたポケモンたちは、夫婦で合わせてもミロカロス、しらたま、ライボルトだけだ。ライボルトは1泊2日なのでテッセンさんに預けるほどでもないか……とそのまま連れてきた。他の子達はボックスにいる。
「わ〜〜綺麗ですね!」
「マチュ〜〜!」
「そうだろう、ここからの景色が気に入ってね」
連れてきてもらったのは、およそ一人では絶対に来ないであろうというミナモシティにほど近い老舗旅館だった。天井の照明は暖色で統一されており、畳や木の温もりが感じられる室内。窓からは海が一望できる温泉が部屋ごとに付いている。もちろん源泉掛け流しの天然温泉だ。部屋もミロカロスがゆったりとくつろげるぐらいには広いため、ポケモンたちも思い思いに休むことができるだろう。ミロカロスはボールから出されてすぐにとぐろを巻いて眠ろうとしたのだが、しらたまが私の腕から抜け出した後に「マチュマチュ」と話しかけていたので、遊んで欲しいらしい。
いやあ本当にいいお部屋をとって貰ったようだ。本当にありがたい。なんて素敵なおへ……たっか、たっかい部屋だなここ。これ一泊おいくら万円なんだ。とはいえ、値段を聞いてもニッコリ笑ってはぐらかされるだけだし、夫婦なのでもう気にしない方がいいのだろうな……。いや無理でしょ、ここ絶対高いよ、無理だよ。
「部屋に温泉もついているけど、大浴場もあるよ」
「ここ、ポケモンたちと一緒に入れるくらい大きいお風呂なのに、もっと大きい温泉があるんですか?」
「ああ、そっちにはサウナもあるから少し趣向が違うんだ」
やべえな、といういかにも場違いな感想しか出てこない残念な頭なので、そうなんですね〜などと適当に返事をした。
「早速だけど、お風呂に入らない? 汗を流してさっぱり綺麗にしてから、浴衣に着替えてのんびりしようかなと」
「ああ、なるほど。ではお先にどうぞ」
「…………せっかくのいい夫婦の日だし、一緒に入らない?」
「いやあ、広いお風呂なんで堪能してください。どうぞお先に」
「マチュ!」
「あっ、しらたまがミクリと一緒に入りたいそうです」
一緒にわざわざ入らなくてもいいだろうとそう受け答えをしていたのだが、ミクリの笑みが深くなった。あ、怒ってる。
「そうだ、その前に運動っていうのもいいかもね。久しぶりにバトルする?」
「マチュ!」
ここにダイゴさんがいたら「しらたまちゃん、元気いっぱいのお返事だね!」と言ってくれそうなお返事だった。
そうして、もちろん負けたので二人とポケモンたちでお風呂に入った。ミロカロスとライボルトは大人しくしていたのだが、そこへしらたまがお風呂にじゃっぽんと飛び込んで全員にお湯をぶちまけた後、みんなで遊ぼうよと必死に「マチュマチュ!」と誘った。ライボルトはしらたまとお風呂の中で追いかけっこを始め、ミロカロスは尻尾で水流を作って遊んでいた。水流に乗ってスピードアップしたしらたまは、楽しそうにキャッキャと笑っていた。いつの間にか小さなお風呂は流れるプールになっていたのだが、私もミクリも怒るより先にポケモンたちが可愛くて仕方がなかった。まあ、ゆっくり出来ないのは仕方がない。
「ミロカロス、今日は楽しそうだね」
ミクリにそう話しかけられたミロカロスは美しい声で鳴いた。
◇◇◇
お風呂の後もライボルトとしらたまがじゃれついて、ミロカロスもしらたまで鞠けりをして遊んでいたので疲れたのだろう。夕飯を食べ終わった後は、ポケモンたちはスヤスヤと眠っていた。ライボルトは見事に巻き込まれているわけだが、なんだかんだこの二人も付き合いが長いので慣れっこだろう。ライボルトはとてもレベルが高いので、彼が少しじゃれついてタックルをしただけでも他のポケモンには大ダメージになりかねない。その点、しらたまであればレベル差を顧みずに思い切り遊べるのでライボルトにとっても楽しかったのだろうな。普段はあまり見せない、彼のお茶目なところを見られた気がする。
「ライボルト、楽しそうに遊んでいたね」
「はい。普段は後輩の前だから気を張っているみたいで……今回はそうじゃなかったので、実はしらたまお姉さんに甘えていたのかもしれないですね」
「ふふふ、二人の間にはそんな先輩後輩関係があったのか……」
「実はライボルト、結構目上を敬う子みたいで……ラクライだった頃から、しらたまとボーマンダに注意されたことはすぐになおすんですよねえ」
ライボルトがラクライだった頃、彼はダブルバトルなのに自分のことだけを考えた行動や、指示に従わないことが多かったため、ラクライと一緒に組んだプラスルが困っていた。その時にラクライにボーマンダが真剣な面持ちで話しかけ……次のバトルから、先述のようなことは無くなったのだ。
ポケモンたちも、お互いに関わり合いながら成長している。
「アザレア、こっちこっち」
ミクリがお風呂が見える窓の前にあるソファに座って、私を手招きした。隣に座れということらしい。呼ばれた通りに大人しく腰掛けると、彼は窓の外を指さした。空はもう真っ暗で、星の灯りがちらほらと輝いていた。
「空も海も真っ暗で、境界線がなくて……そんな中にポツンと浮かんでいるような気持ちになりますね」
「そうだね、でも」
「ルネの方が星がよく見える気がします」
「……ああ、私も同じことを考えていたよ」
満点の星空が見える。真っ暗な空と、それを映しとったどこまでも続く海が見える。
普段、私たちが見ている囲まれた海でもなければ、まあるくぽっかりと天球にあけられた空でもない景色は、常識的に考えれば珍しいものでもないのに、なんだか見慣れなくて、私もずいぶんルネという場所に馴染んだのだなと感じた。
……こういう時、ああ、私はこの人と結婚したんだなあ。結婚して、ずいぶん時間が経って、そして変わっていったのだなと感じる。
「……元々、ルネの丸い空は珍しいって、弟子になったばかりの頃は思っていたのに、今は逆に感じます。どこまでも続く空って物珍しいなって」
そう素直に伝えると、彼は優しく微笑んで「そうだね」と肯定してくれた。
変わっていないようで、変わっている。
価値観もそうだが、見慣れた風景も。街から白亜と青の景色へ、都会の騒音が潮騒の音へ、海の匂いだってそうだ。最初はルネのひとつひとつを拾い上げては驚いていたのに、今ではそのどれもが当たり前で、そして美しく尊いと思う。
そして、きっと何よりも変わったのは――――
「あっ、ミクリ、プレゼント用意したのに、渡しそびれていました! 持ってきますのでお待ちを」
「うん」
急いで戻ると、そこにはプレゼントの小包を抱えたミクリ。うわあ、後ろ手に用意されていたらしい。はいと渡すと、これをと渡されるのでプレゼント交換の要領よろしく受け取った。伺いを立ててから包みを開けると、星があしらわれたネックレスだった。小ぶりなサイズだが金一色のそれはどんな服にも合わせやすそうだ。……とすぐに気がつく。
「これ、コリンクの尻尾とかのお星様ですよね!?」
「そうそう、この形は珍しいよね」
星が集合したように密接に隣り合っているので五芒星かと思ったが違う、これはコリンクの星だと気がついてから嬉しくなった。普段はもっとあからさまにでんきタイプのポケモンが描かれたグッズを持っているが、これはさりげなく身につけられる大人向けのアクセサリーだ。嬉しい。
「ありがとうございます!! かあわいい、大切にしますね」
「喜んでもらえてよかった。君にぴったりだと思ってね」
彼はこれを偶然見つけたかのように話したので、この時は既製品だと思っていたのだが、ミクリがデザインしたオーダーメイドだったとあとで知ることになった。
ミクリが「開けていい?」と聞くので、どうぞと促すと、彼は不思議そうな顔をしたまま包みを開けて「へえ」と嬉しそうに目尻を下げた。
「ブックカバーか、ありがとう。ちょうど欲しいと思っていたんだ」
「良かったです、ブックカバーならそこまで邪魔にならないかと思いまして」
家で使うもの、とキバナくんのアドバイスをもとに選らんだのはブックカバーだった。外で本を読むこともあるだろうが、マスコミに撮られるような写真に入り込むことはないだろうし、ブックカバーなら複数持っていても、読書家の彼ならそこまで困らないだろう。
「ミクリに喜んでもらえたならよかったです」
本心からの言葉だが、いつもどこかぎこちない言葉のようになってしまう。それがどうしてなのか、未熟な私にはまだわからない。
「たまにはこうやって、景色を見ながらゆっくりするのもいいよね。この景色が綺麗だな、と思った時、真っ先に君の顔が浮かんだ」
そう言う彼の横顔がとても綺麗で、美しくて、光を受けて輝く水面のように見えた。どこまでも透き通っている彼の純粋な想いは、ダイビングで海溝から上を見上げた時のように煌めきがある。
「それで、ああ……君に恋をしているんだなと思った。結婚した今でもそうだ。君に恋をしているんだ、私は」
「う、うう……」
うめき声をあげる女で申しわけがなかったが、綺麗な顔の人にこんなことを言われると死んでしまう。恥ずかしくてどうしたらいいかわからず、完全に混乱してしまった。どうしよう、と普段ならしらたまで顔を隠して耐え凌ぐところだが、しらたまはもう眠ってしまったので、どうしたらいいんだ。ううう。恥ずかしい、なんだこれ。
「アザレア」
「はい」
下を向いていたが、呼びかけられたので上を向くと唇に柔らかい感触が……キスされたらしい。
彼がくれた優しいキスは、少し触れてから離れていく。
「結婚をして少し経つけど、君への気持ちは変わらない」
そこまで言われたら、流石に黙り込んで恥ずかしがるだけなのは良くない、と思った。
私はいつもそうなのだ。ミクリにたくさん愛情や優しさをもらうばっかりで、返せるものがない。彼は何かお返しを期待しているわけではないことはわかっているが、私もちゃんと彼が好きだと、気持ちを伝えたい。
「私も、私もです。気持ちは変わりません。貴方のことを心の底から愛しています」
「……ありがとう」
そう言って、ミクリは私に額をくっつけてきた。とても近い距離に、彼がいて、海色の瞳に自分が映っていることがわかる。
彼が一度離れてから、体をひょいと横抱きで持ち上げられた。……昔はいちいち驚いていたが、最近は「勝手に何するんだよ」ぐらいの感情しか浮かんでこない。慣れは怖い。
「ベッドに行こうか、後はゆっくり過ごそう」
そう言われると、期待すればいいのか困ってしまえばいいのか分からなくて、でも今日は特別な日で、素敵な雰囲気の旅館に泊まりにきていて……と思考がぐるぐると回って止められなくなった。
「……ミクリの好きにしてください」
ミクリはいつも頑張っているひとだ。仕事も多く、彼に降りかかる注目も多い。その中でも自分自身を表現することも、他者に見せているということも失わずに、前も向いて微笑んで魅せる人だ。
そんな彼の息抜きになるならなんでもしたいし、なんでも言って欲しいと思う。
せめて、私ができることだといいけどなあ、なんて現実逃避をしながら私はミクリにしがみついた。
変わっていないようで、変わっている。
価値観もそうだが、住んでいる家だって広い家へ、そばにいるポケモンたちはでんきタイプの子だけでなくみずタイプの子が増えて。
前世のことを忘れようと必死だったひとりぼっちの私はどこかへ旅に出ようとしている。今ではそのどれもが当たり前になった。
そして、きっと何よりも変わったのは、貴方がいつも隣にいてくれることなのだ。
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