それは、ほのかな②
それはほのかな①の注意分をよく読んでから読み始めてください。
恋は落ちるものだと言われている。
ゴヨウに文学を教えてくれた教授は「恋とはするものではなくて、落ちるものなんだ。好きになろうと思って好きになることはまやかしの恋だ」と言っていた。なるほど、それは卑しい感情なのかもしれない。
恋の始まりにはいくつかパターンがある。例えば、知らず知らずのうちに目で追ってしまっていた、とか、本能的に好きになってはいけない人だと感じたとか。
はたまた、相手のことをもっと深く知りたいと思ってしまった、だとか。
「助手、ですか?」
ゴヨウの言葉にアザレアはぽかんと口を開けていたし、彼女と同じようにサンダースと、彼女の相棒であるトゲデマルのしらたまも口を開けたままだった。
「マチュ?」
「いや、私も分からないよ」
ゴヨウはシンオウ地方の四天王だが、平時の仕事も「リーグ内の仕事だけなら」そこまで多忙ではない。加えて、もうすぐ忙しい時期もぬけ、比較的穏やかな忙しさに戻る。
ということで、少し落ち着く時期だからこそゴヨウにはやりたいことがある。それは、ボランティアだ。簡単に言うとミオ図書館の司書を手伝っている。
「そこで子どもたちにも喜んでもらえるように……と選書を任されたのですが、いかんせんこれが難しく」
「と仰いますと?」
「実は私、小さい頃から小難しい専門書ばかりを読む子どもだったのです」
「……読書家あるある」
熱心な読書家という生き物は、往々にして入門書がわからない。なにせ、入門書から入っていない。
ゴヨウはミオ図書館の司書から「長期休みの間に、子どもたちがポケモンのことをもっと知りたいと思うようなコーナーを作りたいと思っているんです。きっと、四天王のゴヨウさんの推薦図書であれば、子どもたちの興味が惹かれて、普段は本を読まない子も手に取ってくれるんじゃないかと思って」そう頼まれて、自分が力になれるのならと二つ返事で頷いてしまったが、よくよく考えると、ゴヨウは子ども向けの本がよく分からなかった。
ゴヨウは幼い頃から本を読むことが好きだった。本を読むことで開かれる新しい世界、紙の匂いとはらりとめくれる頁。図書館に行けば古い本の匂いに包まれて、どんな本があるのだろうと胸が高なった。夢と歴史と想いが溢れている場所、それだけで幼いゴヨウは胸を躍らせたものだが……それは本が大好き人間だけである。
幼い頃から小難しい本ばかり読んだためか、多少読解力があったのだろう。ゴヨウは難しい専門書でも苦ともせず読むことができた。今回はその経験があだとなり、子どもが読みやすくとっつきやすい本を選書できずにいた。これは分かりやすいだろう、とリーグ職員に試しに読ませれば「子どもが読むには難しすぎると思います」と反対されるばかりで、正直なところゴヨウは行き詰まっていた。
「そこで、ポケモンに詳しく、年若い貴方のお力を借りたいというわけです」
「なるほど、私も本は好きな方なので読むのは大丈夫ですよ」
「サー!」
「良かった、でしたら是非お願いします」
そうして、二人の奇妙な関係は始まった。
「おはようございます、ゴヨウさん」
「おはようございます、アザレアさん、しらたま、サンダース」
アザレアがしらたまを胸に抱いており、彼女の足元にはサンダースがいた。サンダースは例の一件ですっかりゴヨウに懐いており、会うたびにゴヨウにすり寄ってくるようになっていた。
ゴヨウがオフの日は、二人はいつもミオシティのポケモンセンターで待ち合わせをしていた。アザレアは今ポケモンセンターに長期滞在しているらしい。朝食を食べ終わってから二人で本屋を巡り、良い本がないかと探し歩いていた。そして昼食を共にとり、時間が空けばゴヨウはアザレアと手合わせをしてバトルにアドバイスをしていた。
「私、朝から夕方までゴヨウさんに面倒見てもらっていますけど、お邪魔になっていませんか?」
「とんでもない。むしろ私が面倒を見てもらっているようなものですよ」
女性に食事代を払わせることはゴヨウの価値観にそぐわないので、彼女が気がついていないうちにサッと会計を済ませていた。そう、気にしないでと笑うけれど、アザレアの方は気にしていた。
「私、バトルの面倒も見てもらって、選書を手伝うと言いつつ本の知識も授けてもらって……もらってばっかりなんです。どうしても気になります」
「そうですか……」
「何かお手伝いできることありませんか? 私にできることなら手伝わせて欲しいんです」
彼女のその真摯な申し出に、ゴヨウは一瞬考え込んだが微笑んだ。
「私が悪い大人じゃないので良いですけれど……可愛らしい貴方がそれを言うのは、少々まずいと思いますよ」
「マチュ!」
しらたまがゴヨウの言葉に頷いていたけれど、しらたまは何も分かっていないように見えた。
「マーチュ、マーチュ、マーチュマチュ」
「サーン、サーン、サーン!」
「エーフィ、フィ、エーフィ」
三匹のポケモンたちは仲良く児童書を運んでいた。しらたまが本を近くまで運んできて、サンダースが積み重ね、それをエーフィが“サイコキネシス”で持ち上げていた。歌っているのだろうか、三匹とも楽しそうにしっぽを振りながら作業を続けていた。
「このコーナーはこの辺りで良いのではないでしょうか」
「そうですね、あとはこっちの冒険系を増やしてみたら良いかもしれないです」
ポケモンの生態に関する図鑑、子ども向けのポケモンとの暮らし方、身近にいて観察できるポケモンに関しては選書を終え、ゴヨウは達成感を覚えた。
子ども向けの図鑑と一口に言っても、ゴヨウが選んだものは専門的な言葉を使っていたらしく、アザレアが「それは普通、注が必要ですよ」と指摘してくれた。わからなかった。
「冒険系……と言うと、キャンプのような実用向けの物でしょうか」
「旅に出たくなるような、子供向けの文学作品も良いんじゃないですか?」
「いいですね、そうしましょう」
二人はそれぞれ、自分が子どもの頃に読んでいた冒険小説を持ち寄り、答え合わせのように見せあった。アザレアはやはり幼い頃から読書家のようで、一つ話題に出せば花が咲くように次々と本の題名を羅列し出した。
「私の友達がとっても勉強熱心な子で、その子がよくスクールの図書室で勉強していたんです。私は不勉強だったので、こういう本を読んでばかりだったと言いますか」
「何を仰います。幼い頃から図書室でたくさん本を読むことは素晴らしいことですよ。……手前味噌になってしまいましたが」
ゴヨウが思わず苦笑を浮かべれば、アザレアもつられて笑い出した。
「こういう本は苦手で、なかなか読まなかったなあ」
「ああ、『貴方が主人公です』という体験型の小説ですね」
本の中にはそういったものもある。多くの人間が共感できるように主人公の名前が作中では「僕」「私」のような一人称やニックネームでのみ表現されている小説だ。主人公の性格も個性が薄く、まあ大半の人間がそう答えるだろう、というセリフだけが用意されている。主人公の親や過去とった背景も淡白な作品が多い。
「ミヒャエル・エンデくらい主人公が自分じゃないとわかれば良いんですが、没入して読んでいくタイプなので、ふとした瞬間に『ああ、この子は私じゃないんだな』って思っちゃう瞬間があって……夢から醒めてしまうんです。大勢の人に向けて『これが大勢です』と示されたものが『自分じゃない、自分はその大勢じゃない』と思った時に怖くなってしまうんです。……あっすみません、変な話をしました!」
そう彼女は取り繕って、明るく笑いながらまた作業に戻ったけれど。
ゴヨウの頭には彼女の言葉が鐘の残響のように漂い続けていた。
アザレアはどういう人間なのだろう。
はじめ、サンダースを見たときは、サンダースがよく手入れされて懐いていたため、とても愛情に溢れたトレーナーなのだろうと思い描いていた。次に、サンダースを引き取りに来たときは、ぐしゃぐしゃに濡れて泣いていたため、本当にポケモンのことを愛するトレーナーなのだろうと思った。最近はずっと一緒にいるようになり、でんき統一でリーグに挑んでいたのは彼女だと知ってどういう強さを持ったトレーナーなのかと気になり、その強さの秘訣をゴヨウは見極め飲み込んでいくつもりだった。そして、今日の彼女はどこか寂しげで物憂げに見えた。普段は明るく笑っているか、あまり表情や感情を見せないためその日の出来事は一層新鮮だった。
アザレアがどういった女性なのか、ゴヨウはまだ掴み損ねており、自然と彼女のことをもっと知りたいと思うようになっていた。
「子どもたち、とっても喜んでいました!」
「それは何よりです。頑張った甲斐がありました」
「本当に〜」
「マチュー!」
四天王ゴヨウの選書ボランティアは好評のうちに幕を閉じることになった。子どもたちが畳のコーナーで、小さい机や椅子が並んでいるキッズコーナーで、選書された本を読んでいる光景にはゴヨウも胸が熱くなった。少しでも、ポケモンのこと、自分の身の回りのことに知識をつけて様々な視点を持った大人になって欲しい……とささやかに祈る。
「ありがとうございます、アザレアさんのおかげです」
「いえいえ、私はちょっと横で口出してただけですから。むしろいつもバトルのアドバイスをしてもらったり、ご飯まで……何から何までお世話になりました」
「とんでもない」
むしろサンダースのことをきっかけに、ゴヨウがアザレアを自分の予定に巻き込んだのだ。それぐらいはさせて欲しい。
そして、「選書が終わった」というはどういうことなのかを、二人は静かに理解していた。
「近いうちに、必ずまたリーグに挑戦しますね!」
「お待ちしています」
その後、一度だけゴヨウはアザレアと戦い、アザレアが勝った。そうして彼女はシンオウ地方から旅だったのだ。
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