【めいこい】素直に謝れなくて
「なあ、鏡花ちゃんよお、もっとこうパーッと書けないかねぇ?」
「あのなあ川上、何言ってんだよ。僕は別にあんたのために戯曲をかいてるわけじゃない! それに、僕にだっていろいろ事情があるんだからねっ!」
僕のそばにいる色男――川上音二郎は面倒くさそうに頬杖をついた。劇場の視察に行ったあと、ご丁寧に戯曲の催促にやってきた。
「あー、あちぃ。やっぱ洋装は慣れねぇや」
「部屋に服を脱ぎ散らかしたりするなよ! 汚いったらありゃしない」
「汚いってお前な」
川上はそう面倒くさそうに言いながら、ネクタイを緩めた。
「ていうか、なんで僕より先に部屋にいたんだよ! どうやって入ってきたんだ」
「そんなの決まってんだろ? 正面から堂々と……先生に挨拶してだな」
呆れてモノも言えなくなった。『先生』……僕の師匠である尾崎紅葉先生の名前を出せば僕がおとなくなると知っているところが、また憎らしいというか。
「迷惑だから……来るなって言ってるだろう!」
「まあまあ、そんなに怒りなさんなって。そんなに怒りぽくっちゃあ女にモテねえぜ?」
「はぁ!? ……僕はモテたいなんて思ってないからね!!」
「嘘つけ、無理すんな」
川上のさとすような言い方が頭にくる。
「だいたい……大勢じゃなくて、特定の誰かにモテたらいいんだよ」
「あぁ? 何か言ったか鏡花ちゃん」
「別に」
小声だったから川上には聞こえなかったらしい。
「まっ! しょうがねえか! 鏡花ちゃんは女を知らねえからなぁ」
「な……! うるさいんだよ、この年中発情期男! 僕は知ってるんだからねぇ、あんたが芽衣のこといやらしい目で見てたってこと!」
僕が得意げにそう言うと、川上の顔色が変わった。
「おいおいおい、それは違う。だいたいなん」
「違わないだろ」
間髪いれずにそう言うと、図星だったらしい。川上が反論してきた
「違ぇつってんだろ……」
「違わない!」
「なんんだなんだやんのかあぁ!?」
柄にもなく怒るあたり間違いないのか。川上と取っ組み合いになり、僕は身長が(川上に比べて)低いこともあって押し倒される形になってしまった。
必死に川上の胸ぐらを掴んで抵抗するのも虚しく、力ではかなわないのが悔しい。普段女の格好してる奴に。
「えっと、音二郎さんいらっしゃいますか?」
そこにタイミング悪く彼女が入ってきてしまった。手には風呂敷で包んだものがあるから川上に差し入れか。
「あ」
僕と川上の声が重なった。彼女――芽衣は慌てて
「ごごめんなさい! 邪魔をするつもりはなかったんです……! 本当に、本当にごめんなさいいいいいいいい!」
そう声を上げて顔を真っ青にして出て行ってしまった。
――どうもあらぬ誤解を受けてしまったようだ。
まず、体勢がまずかった。川上が僕を押し倒していて、お互いに胸ぐらをつかみ合って、川上はネクタイも緩めて上着も脱いでいたし。川上を押しのけようとして僕も抵抗した。当然暴れたから着物もすこしはだけていたし。
「……だから何? 俺にその話は関係ないだろ。というか、悪いけど出て行ってくれない? 泉がいたらうるさくて集中できない」
あらぬ疑いを受けてしまった僕はどうも気分が悪くて、理由をつけて芽衣が住んでいる森さんの屋敷に来たのだが、運悪く芽衣はお使いで外出中。森さんも学校に行ってしまったとかで家にいる菱田に事の次第を語っていた。
「さっきも言ったけど、あの子は今いないんだし」
「べ……別にあの子に芽衣に会いに来たわけじゃないからね! 僕はただ森さんに伺いたいことがあって」
「で、鴎外さんも出かけてるって言っただろ。まさか、帰ってくるまで居座る気?」
菱田がそこで大きくため息をついた。しかし、僕はそんなに居座ることにはならなかった。突然トントンと菱田の部屋のドアがノックされたからだ。
「春草さん……? ただいま戻りました」
「ああ、おかえり早かったね。道に迷わなかったんだ? ついて行ってあげれたほうがよかったんじゃないかって、さっきまで思っていたのに」
「はい、いつもいつも春草さんについてきてもらうわけにはいきませんから」
芽衣はそう言って笑ったけれど、ちょっとまて。菱田はもしかして、理由をつけては芽衣と一緒に出かけているのか。昼間から。
「あ、鏡花さんもいらしてたんですね」
「ああそうだよ、いたら悪い? 森さんに話を伺いに来たんだ」
「いえいえ、そういうことじゃないです」
菱田がじろりと睨んできた。悪かったな、どうせ僕は素直な気持ちなんて言えないよ。
そんな僕たちのやり取りを知らない芽衣は菱田になにか手渡した。
「春草さん、これを」
「絵の具か。どうして君が……これを?」
「もうすぐ切れそうだって今日朝言ってましたよね? 色とか種類はあってますか?」
「そうか、これだよありがとう。よく知ってたね」
菱田が感心していると芽衣が得意げに
「はい! 春草さんが前に教えてくださったので」
「へえ、君が肉の味以外を覚えていたなんて、意外だな。鴎外さんのお使いもあったし重かっただろう。やっぱり俺もついていけばよかった」
そう言うと菱田が立ち上がって芽衣の顔のすぐそばに自分の顔をもっていった。やたら近い。あまりにも近いものだから芽衣の方も赤面して焦っている。菱田は一体何を考えているのやら。
「やっぱり、次は俺もついて行くよ。君にあまり負担をかけたくないし……君の役に立ちたいから。嫌とは言わせないよ?」
「わ、わかりました!」
芽衣が嬉しそうに笑うのを見て僕は耐えられなくなった。
「あああああ! 何なんだよ! あんたら!」
二人の様子を見ていられなくなって芽衣を菱田から引き離した。そして僕は当初の目的を忘れきってしまって、芽衣に向かって怒鳴った
「だいたいアンタもアンタだよ! 顔なんか赤くしちゃってさ!」
「鏡花さ……」
「菱田も菱田だよ! よくもまあ他人の前であんな不埒な真似できるよね! どうせ子のこと二人きりになるのが目的だったんだろう!」
僕の怒りは止まらなくて、菱田が肩をすくめた。
「……は? 俺はただ大変だろうと思って」
「何言ってるんだよ、そんなの通用しないからね!」
怒りは収まりきらず、僕は森さんの屋敷から飛び出した。
*
あたりが暗くなり始めた。物ノ怪が出てくる『朧ノ刻』だ。
神楽坂まで歩いていたが、屋敷を飛び出してから僕の頭は後悔が渦巻いていた。芽衣の誤解を解くこともできなかったし、怒りに任せて怒鳴りつけてしまった。どう考えたって……菱田に嫉妬しただけの幼稚な真似だ。自己嫌悪が募ってもう倒れてしまいそうだった。
「おい泉、こんなところで何をしている?」
目の前から妖邏課の藤田が近づいてきているのにも気がつかないなんて、僕も相当らしい。突然声をかけられて驚いた。
「別に何も。下宿先に帰っているだけだよ」
「怪しいな……この近辺で物ノ怪絡みの事件が続出している。詳しく聞きたいことがやまほどある」
「はぁ!?」
僕は藤田に連行されて、いつぞやの取調室で藤田と向かい合っていた。
……きっとあの時は疲れていたんだと思う。僕はそのまま藤田に川上とのくだりから森さんの屋敷での出来事をひたすらしゃべり続けていた。内容は支離滅裂だった気がする。
「はあ、もう帰ってもいい。だが、魂依一人にはできんから俺もついていく」
藤田も僕を哀れに感じたんだろうか、呆れたのか、その両方か。下宿先につくまでずっと藤田に説教されていた。
*
「鏡花さん! これどうぞ」
「あんぱん?」
後日、屋敷から飛び出していった僕を気にしたのか芽衣が下宿先にあんぱんを持って訪ねてきた。
「どうしたんだよ、なにか企んでいるとしかおもえないんだけど?」
「いえ、何も企んでないです! 最近鏡花さんに元気がないって聞いて」
「へえ、それで機嫌を取りに来たってわけか。どうせまた川……」
川上に戯曲の催促を頼まれたんだろ、そう続けようとして飲み込んだ。これではまた同じことの繰り返しだ。
黙り込んだ僕を心配して芽衣が心配そうに僕の顔を覗き込んできた。
「はあ、アンタに心配されるなんて僕も落ちぶれたもんだねえ。別に元気だよ」
「そうですか? 良かったです!」
芽衣が嬉しそうに笑った。
「あんた、笑っている方が似合うよ、絶対そのほうがいい」
敵は多いけれど、試練は多いけれど、僕は芽衣のことを――。
*
「へえ、よかったじゃないか泉。誤解も解けたみたいだし」
「ああ、まあ」
「でも、俺は負けないから」
菱田からそんな宣戦布告を受けるのはまた別のおはなし。
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