推しは推せる時に推せ!
「モカごめん!!この後、推しの試合だった!」
『大丈夫-、またねアザレア』
私はカロスのスクール時代の友人とのテレビ電話を切ってから、急ぎモニターで公式チャンネルの配信を映した。
今日はずっと楽しみにしていた推しの試合だ。試合の日時が発表されてすぐにスマホロトムのカレンダーに予定を書き込み、来る日も来る日も「あと何日だ」とカウントしてきた。当日は意外とあっけなくやってきて、直前になって思い出すあたり前世でやっていたソシャゲのガチャ実装に似ている。あれガチャ実装10分過ぎた、みたいなやつ。
「きたきたきたきたーー!!」
私が見ているのはPWT(ポケモンワールドチャンピオンシップス)のハイパークラス。
……ここまで言えばお分かりの通り、デンジさんの試合だ。
デンジさんはシンオウ地方最強のジムリーダーとして有名で、その実力は彼の「四天王に勧誘されたが、部屋が改造禁止だったので断った」というエピソードにも裏付けられている。デンジさんは実質的に、シンオウ地方の四天王と同格の実力者である。
私が前世でただのポケモンのオタクだった頃から、デンジさんのことが本当に大好きなのだ。私が今でんきタイプ統一をするほどでんきタイプが好きなことも、機械をいじるのが好きなことも、全てデンジさんの影響といって、差し支えないだろう。前世でも、気が狂うほど推していたし、今世で「ポケモンの世界に転生したんだ」と気がついたときに真っ先に会いたいと思った人だった。
そして、実際に私はシンオウ地方を旅して彼に会い、より彼の人柄やその努力を知ってますます熱心なオタクに磨きをかけた。
『デンジさん、今回はスピンロトムちゃんとエレキブルちゃんのコンボですか?』
なんて、数日前に連絡をした際は
『さあ、どうだろうな』
と目を細めて得意げに笑う推しを見て、危うく失神するかと思った。しないけど。理性があるからしないけども。危なかった。今世は推しとうっかり連絡を取り合っている程には仲良くさせて頂いているため、オタクは恵まれすぎて幸せいっぱいです。
――とまあ、デンジさんにとって、私はジムリーダーとして見守るトレーナーのひとりなのだろう。ジムに挑戦したことがあるから、将来を気にかけて貰っているのだ。自分で言ってて恥ずかしくなってきた。
そんな私の大好きな推しにして原点にして推しが今日は大切な試合。舞い上がらないわけがないというもの。
「しらたま、もう始まるよ!」
「マチュ!」
しらたま、と呼ばれた私の相棒であるトゲデマルは、膝の上にちょっこり座って元気よくお返事をした。
画面で踊るデンジさんのポケモンたちと会場の熱気が伝わる声援や実況に釘付けになっていた私は、スマホロトムに届いた着信に気が付かず、また、私の後ろで服を引っ張るバチュルにも気がつかなかった。
「はぁあ〜〜デンジさん、本当に格好いいなあ〜〜!!」
胸元にぎゅーっとしらたまを抱き寄せ私は夢見心地で試合を見続けた。
「やっぱり、デンジさんは最高に格好良くて強くて、熱意も実力もあって、本当に本当に大好きだなあ〜!!」
「マチュマチュ」
しらたまも試合を見ながらともに頷いてくれた。しらたまは意味が分からないこともとりあえず頷いてみるトゲデマルである。そのため、今回もあまり話の内容は分かっていないのだろうな、と私は思っていた。
試合が終わって感傷に浸っていた私はうっとりしながらもうデンジさんたちが退場したフィールドを中継で見ていた。興奮しすぎて全く試合の内容を思い出せないので、後でもう一度アーカイブを見ておこう。そう心に決めたところでスマホロトムが着信を告げる。急いでテレビ電話で応答しようとモニターに映し出すと、そこには「デンジ」と名前が浮かんでいた。
「デ、デンジさん……!?」
『んん? なんだその反応は。オレの偽物でもいたのか?』
慌てふためいたオタクに、デンジさんはそう言って軽い調子で笑ってみせた。ふふ、と彼の声の奥に抜ける空気の音で失神するかと思った。しないけど。
「試合お疲れさまです! 最高でした! 興奮しすぎて、何も覚えてないのでそれしか言えないんですけど」
素直に暴露してしまえば、機械の向こうで大笑いされ、釣られたのか彼のエレキブルちゃんもニコニコと笑っていた。
『気持ちは分かる、と言いたいところだが……もし君が将来的にジムリーダーや四天王、チャンピオンの座につくのであれば、反省点を挑戦者に告げるために覚えておいた方が良いだろう。……なんてな、ちょっと真面目で偉そうなことを言ってみた。ジムリーダーっぽいだろ?』
デンジさんは立派なジムリーダーでしょ。なんて思わず私も軽口を叩いてから
「大丈夫です! いつも覚えてないのはデンジさんの試合だけなので。自分の試合は覚えてます」
と告げるとデンジさんはまたお腹を抱えた。今日はデンジさんにとって、何が面白いのかずっと笑っている。試合後で熱気が収まらないのだろう……と私は自分というオタクから目をそらした。
デンジさん、自分のオタクに電話をかけてからかうのは程々にして欲しい。
『試合を生中継で見てくれると連絡をくれただろう? それで君から感想を聞いて、反省会をしたかったんだが……その調子では難しそうだ。また連絡をしよう』
今日はシンオウ地方の外での試合だったため、近くオーバさんがおらず、代わりの話し相手が欲しかっただけらしい。……いや、私の混乱した様子を見て面白がりたかったのか?
そうして、デンジさんは簡単に挨拶だけをすると電話を切ってしまった。そんな単刀直入に用件だけ伝えて切ってしまう所もデンジさんらしくて、私は大好きだ。
「マチュー、マチュー!」
「バーチュ!」
「マチュ!」
しらたまにあっちあっち、と示されて振り返るとそこには私の服を一生懸命引っ張るバチュルたんことネーブルだ。ネーブルは私がミクリにあげたバチュルである。ネーブルは元々綺麗な物が好き、美しいものを沢山見たいという美意識が高い子で、ミクリの美しさに釘付けになった。それからやたらとミクリに懐いてしまったので、ネーブル自身の希望もあり「良かったら面倒を見てあげて欲しい」とお願いをして引き取って貰い、それからはミクリの家で静電気を食べている。
ネーブルが私を呼んでいる、ということは……
改めて、着信履歴を確認すると、スマホの中に入っているロトムのトワに「遅いロト〜」と言われてしまう。
「やあ、そろそろ落ち着いたかな?」
「……あっ、ミクリだ」
「あっじゃないよ。さっきも連絡入れたのに、一時間しても返信が来ないからどうしたんだろう? と思って覗きに来たんだ」
後ろに美しい人が居た。この上なく美しい、ルネの海を写し取ったような人――私の夫であるミクリが部屋の後ろの方で壁にもたれかかって立っていた。待ちくたびれた、と姿勢で言外に告げてくるあたり、かなり時間が経っていたらしい。
「どうやって私の部屋に入って来たんですか?」
およそ家主の夫にかけるべきではない言葉でも彼は「ノックをしても返事がないから困っていたら、ライボルトが入れてくれたんだよ」と教えてくれた。
スマホロトムの着信には『夕食はどこかに食べに行かない? 何か食べたいものはあるかな』とメッセージが残されていた。
試合が始まったのが夕方だったこともあり、もうすっかりお腹が空いている時間になっていた。
ミクリは私にメッセージを送ると同時に「きっとアザレアは忙しくて着信に気がつかないだろうから、彼女を呼んできて」とネーブルにもお願いしていたらしい。私の部屋は小さなポケモンたちが自由に出入りできるように配管や穴が設置されているため、バチュルの大きさなら、鍵がかかっていても中に入ってこられるのだ。メッセンジャーにはうってつけである。
「あっ、その、ごめんなさい。ミクリもネーブルも、ずっと待たせてしまって……」
私が申し訳なさそうに言うと、ネーブルは「バチュッ!」と鼻息を荒立ててからふうとおもちのように潰れた。どうやら許してくれるらしい。役割を果たせてホッとしたのだろうネーブルをミクリは手のひらに乗せて労った。
「夕食は特に食べたいものはないです」
「うんうん……じゃあ、新しくできた店に行ってみる? 評判が良いみたいでよく名前を聞くから気になっていたんだ」
そうミクリに優しく提案されて私は黙って頷いた。しらたまは膝の上で「マチュマチュ!? マチュー」とすっかりご飯モードに入っているらしく、口をモグモグと動かしていた。
ミクリがそう言うお店ならある程度下調べも済んでいるのだろう。
「予約してませんよね、入れるでしょうか?」
「入れなかったら少し待つか、違うお店に行けば良いよ」
ミクリは以前、こんなことを言わなかったと思う。なんというか、きちんと予約をしてバッチリデートコースを決めてエスコートしてくれるような紳士なのだ。結婚してから、少しミクリが気を張らなくても良くなったのかな、なんて嬉しく思っていたら、彼に
「アザレア、私に何か話すことはないかな?」
と優しく微笑まれた。とても柔和で親しみを与える笑顔であるとはいえ、私はその意図を正確に理解した。
何かを怒っている。
私は彼に何かをしてしまったらしい。
連絡が遅れた件に関しては先ほど謝ったので違うだろう。心当たりがあまりないのだが、ロトミちゃんを増やそうかと画策していたことだろうか、庭に放つデンヂムシたちをルネシティに少しずつ広めていることだろうか……いや、思ったよりあったな。
「私何かやらかしましたか?」
一応怒られるようなことはしていないはずだ、まだバレていないはずだ。ならば澄まして、さも心当たりがなくて困惑している純真な姿を見せねばならない。
ミクリに恐る恐る尋ねてみれば、彼は少し呆れた様子ではあ、とため息をはいた。
「ねえアザレア」
「はい」
「一番格好いいのは私だと思わない?」
その言葉で「あっ、デンジさんのこと見られてたんだな」と察した。オタクの熱が収まるまで待っていてくれたらしい。
一番格好いいのは、一番私が好きなのは誰なのか。これは本当に「ゲームのミクリ」は言わないだろうなと思わされる、私と彼の間に存在する秘密の合言葉だ。
「ミクリが一番です」
そう答えるところまでがセットになっている。
「ありがとう。新婚の妻が他の男にうつつを抜かす姿は、分かっているつもりなのに、どうしてか妬いてしまうものだね」
ヤキモチを軽い気持ちで告白してもらって、なんだか少し照れた。とはいえ、そうさせた原因は私にあるので、やはり申し訳ない。
「あの、本当にミクリが一番ですからね」
デンジさんは最推しなので多少気が狂ってしまうけれど、推しと夫は違う。デンジさんは憧れだけど、ミクリは恋愛対象なのだから。
「ありがとう、私も君を一番愛しているよ」
そんな王子様でも照れて言わなさそうなことをいつも惜しげも無く、優しいシャワーのようにかけられることはとても幸せなことだと思う。
「マチュ……?」
しらたまにご飯を急かされて、私たちは笑いながら出かける支度をはじめた。
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